「改革」のレッテル疑って
この十数年、政治、行財政、金融、社会保障などの改革が数々行われてきた。それなのに国民の暮らしは一向に良くならず、将来に明るい展望が開けたわけでもない。
(中略)
昨年の年金改革で露呈した様々な問題は、社会保険庁への批判にとどまり「改革」の目標を疑うには至らなかった。保険料の値上げや給付の削減を国民が受け入れたのは年金財政危機の中、高齢社会に対応するためにどうしても必要な改革と言われたからだ。だが実は、年金財政がほんとうに危機かどうかさえ明らかでない。「積立金が足りない」と政府はあおったが、日本の巨額の積立金は他の先進国の標準の何倍もある。国民負担を増やさずとも高齢化に十分対応できるはずなのだ。そもそも本当に危機なら、なぜ多額の流用が可能だったのか。
よく見れば、[改革」と称するものの多くが、財政支出を国民負担に転嫁する話だ。医療保険、年金改革はその典型だし、金融改革とされるペイオフも、金融行政の失敗を財政でなく国民の預金で償わせる仕組みである。
(中略)
国民生活の健全性を犠牲にしてまで財政の「健全化」を優先する「見せかけの改革」が、財政をさらに悪化させてきた。
(後略)
(紺谷典子)
(今日の朝日新聞私の視点より)
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