9・11から3年目の米国

 同時多発テロから明日で3年になる。「9・11」は今も米国民の脳裏に刻み込まれている。あの恐怖と屈辱がアフガニスタン戦争、イラク戦争へと米国を駆り立てた。戦争はなお終わらない。
 だが、力でテロをつぶし、正義と安全を得ようとした米国の行動が生み出したのは、深刻な逆説ではなかったか。
 力が安全を保証するのなら、米国は最も安全な国であるはずだ。確かに「9・11」後は米国内でのテロは起きていない。しかし、その力を駆って世界の紛争に軍事介入する米国に、敵対者や弱者の側では恨みや憤りが広がっている。事実、テロを鎮めるはずだったイラク戦争はテロを世界に拡散させた。米国は依然として安全とはほど遠い。
 「9・11」が突きつけたのは、ジェット機を武器に変えた自爆テロ攻撃に対して、米国がいかに脆弱(ぜいじゃく)かということだった。同時に、そうしたテロリストが大量破壊兵器に手を伸ばす恐れさえ現実味を帯びている。ハーバード大学ジョセフ・ナイ教授が「国家が独占していた兵器が個人や集団の手に渡る。テロとは戦争の私有化なのだ」と指摘した通りの時代が到来した。
 みずからを敬虔(けいけん)なキリスト教徒とし、宗教右派を支持母体とするブッシュ大統領は好んで聖書の言葉を使い、主張を正当化する。だが、新約聖書にはキリストのこんな言葉も記されている。「蛇のように賢く、鳩(はと)のように素直であれ」
 ここで言う蛇の賢さとは、自分の置かれた現実を知り尽くした、したたかな知恵を意味する。鳩の素直さとは、自分が厳しい環境に置かれても他者に心を開くことを忘れるなということであろう。

       (今日の朝日新聞「社説」より抜粋)

 



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