箱根 古い宿

 秋の行楽シーズンで箱根の宿はどこも満員だった。かろうじて取れたところは旧財閥の別荘だったそうだ。そこに新たに離れが作られ、一万坪もの広い庭が広がっていた。

           

 建物は手入れはされているけれど、当時とあまり変わっていないように思われた。

 旅館の玄関なら豪華に造られていてもよさそうだけれど、質素で普通の民家に入って行くような雰囲気だ。廊下だってミシミシいう。驚いたことに各部屋には鍵が付いていなかった。だから露天風呂や大風呂に行くときでも部屋には誰だって入ってこられる。貴重品は金庫に入れたけれど。

 大風呂の壁やバスタブは、タイルが取れて無くなっている所はセメントで補強され、シャワーは昔の学校のプールについていたような高いところに固定してあるタイプ。脱衣所の鏡も部分的に黒くなって映らなところがあった。おまけに洗面台にはヒビが入っていた。

 一事が万事だろう。古いものを大切に使っている宿だった。最初に出されたお茶、その茶托はもう漆が剥げてきていた。

       部屋の窓から外を見る

       鏡台も随分年季が入っていて良い感じ


 庭を歩いてみる。もみじの木は沢山あるのだけれど、紅葉するにはもう少し時間が必要だった。紅葉の時期はどんなにか素晴らしいことだろう。

 ふつう旅館の庭は雑草も生えていなくて綺麗に掃き清められているというイメージがあるが、ここは違った。雑草ボウボウではないのだから手入れはされているのだけれど、とても自然なのだ。落ち葉が落ちている。雑草や野草もあちこちに無造作に生えている。

       苔生した岩や石畳にも風情がある


 なぜかこの古い宿は心が落ち着いた。綺麗に整備されていないかわりに、時代が造った包容力があった。それは「ゆとり」という空間だったのかもしれない。

 歳とともに日本的なものに引かれていくことを感じてはいた。その答えがすこし見えた気もする。自然や物、人に向き合ったときの、私自身の心のゆとり。本物に接したいという欲求・・・。


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 帰り間際に一人の仲居さんと言葉をかわした。たぶん同世代くらいだったと思う。

 この宿には、自然に囲まれて古いものを大切に守っていく、そういうところを気に入ってのリピーターも多いそうだ。実は彼女はこの宿のお客だったという。その彼女はこれから働くならこういう旅館が良いかなと、今度は従業員になったそうだ。

 



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