余白の美、手抜きの力量
名古屋の友人が、東京国立博物館に「対決ー巨匠たちの日本美術」を見に来ました。この展覧会は、運慶と快慶、雪舟と雪村、歌麿と写楽などなど、巨匠たちの作品が対比して見られるのです。
その友人はわざわざ新幹線でやってきたのに、いきなり1つの作品、長谷川等伯の『松林図屏風』のところに行ってしばらく見ていました。それを見るのが目的だと言っていました。そして「あとはおまけ」だと。
私は、始めから1つ1つ丁寧に鑑賞、だって入場料分見ないと損だから。
全部見終わって、最後にもう1回ざっと見て回りました。そのとき
「ねぇ、貰うとしたらどれがいい?? 私は等伯の『松林図屏風』」と彼女。
「じゃぁ、襖に使えるかもしれないから、長沢芦雪の『虎図襖』にするわ」と私。
実はどちらも余白が多い作品でした。等伯のほうは霧の中に所々松林か見えるというような絵だったし、芦雪の虎は襖(ふすま)4枚に1匹だけ、しかも襖の1枚には虎の髭(ひげ)が2本だけしか描かれていない。白い部分の多い絵でした。
他の緻密でこれでもかと言うくらいに描き込んだ作品に比べたら、どちらも絵の具が極端に節約されている。つまりエコ? おまけに労力だって少ないはず。(もちろん作品の良し悪しとは関係が無いのだけれど。)
人生も半世紀を生きて少々疲れてきた女二人の結論は、いかに少ない労力で相手を納得させられるか、それがこれからの課題だということでした。
つまりバレないように上手に手を抜いて、しかしいかに完璧に見せられるか、ということなのです。
ただでさえ実力も体力もないのに、細部まで几帳面に描いていたら終わりません。あえて余白を作って、その余白に多くを語ってもらうことが出来る、それが理想なのです。
歳を取ったら手を抜いて、その分、頭で補う。それが大切なのかもしれません。なんて思うのは簡単、でも、でも、でも、これが難しい。
脳トレ、しなくちゃならないかなぁ〜〜〜。
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